ベースメイクには命かけてます

 

だんだん、冬に近づいてきて寒くなってきてるね

 

季節は好きなんだけど

 

乾燥肌な私にとっては、地獄

 

冬から春(3月)は

 

やれ乾燥、おまけに揺らぎ肌で

 

いつもよりトラブル肌になりやすい季節

 

皆さんは、季節でベースメイクって変えてるのかなぁ?

 

わたしは化粧の中で、いっちばん!!

 

ベースメイクに命かけてる!!笑

 

学生の頃から、色んなブランドのファンデーション、下地、コンシーラー等

 

使ってきました。変な自信

 

小さい頃から、そばかすいっぱいで

おまけに、アトピー、敏感肌乾燥肌

 

常にゆらぎ肌状態で人より大変

 

だからこそ色んなところ使っては、

失敗の繰り返しして、数少ない自分に合った物に出会った時の喜びはハンパない。

 

ファンデーションなんて、腐るほどいろんなブランドにお金注ぎまくったしね

 

そんなファンデーション難民だからそこ、言えるベースメイクの善し悪しを

今日は、伝えたいと思います

 

リキッド、クリームファンデーション編

 

あくまでも使った使用者の主観とタッチアップ、使用感はご了承ください。

 

まず、ネガキチチキンの肌

 

色白

日焼け後すぐ赤くなる

乾燥敏感肌

そばかす肌

アトピー湿疹とニキビ跡

 

ベースメイクにもとめる条件

①カバー力

②乾燥を防いで、テカリ防止で汚く崩れない

③艶肌よりややセミマット肌

 

 

エスティーローダー

    ダブルウェアー 

    ①カバー力は1

    ②速乾性、小鼻は崩れやすい、頬から下が        乾燥

    セミマット

テクスチャー

速乾性、サラサラ

 

ディオール 

   カプチュールトータルセラム 

   ①カバー力ある

   ②乾燥もそこまで感じず、自然なツヤ感も

     正し値段が高い

   ③自然なツヤ感

クリームまではいかないネットリ感

 

イブサンローラン

    タンアンクルファンデーション

    ①カバー力はある

    乾燥、肌荒れ、香料がキツめ

    セミマット

速乾性、サラサラ

 

ランコム

タンミラクファンデーション

  ①重ねればカバー力はある

  セミマット感だが、そこまで乾燥は気にならず、崩れ感もなく、テカリも気にならず

  セミマット

速乾性、サラサラ

 

SUQQU

エクストラリッチクリームファンデーション

①クリームなのでカバー力はある方

②リキッドに比べ、乾燥は防いでくれるが

重めなので崩れやすかった

③ツヤ肌

もったり、重め

 

ボビィブラウン

スキンロングウェアファンデーション

①カバー力は少なめコンシーラーで調整や工夫次第

②乾燥はしなかったが、小鼻から崩れやすかった

セミマット

※みずみずしい、サラサラ

 

資生堂シンクロスキンセルフリフレッシングファンデーション

①カバー力はある

9月に購入した時は、乾燥はそこまで気にならず、これから冬場どうなるか検証中

セミマット

ネットリ感だが、のせるとピタットくっつく。

 

といくつか挙げてきたけど、

ネガキチチキンが良かったものは

 

ディオール資生堂ランコムSUQQU

かな。

 

ちなみに資生堂は、今年9月に購入したばっかなので、今は検証中

 

ディオールは、通年使い

ランコムは、夏場

資生堂も通年使い?

SUQQUは真冬

 

ただネガキチチキンは、そばかすをカバーするために

何回か重ねてプラス、コンシーラーも重ねるから

SUQQUみたいなクリームファンデーションは最近は重く感じるかな。

 

あらためて、化粧って大変だわ

 

  

 

 


摂食障害ランキング
OLランキング

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしと過去~現在

 

 

自己紹介から始まって

かな~〜り濃い内容の記事が続いちゃいまいたねσ( ̄∇ ̄;)

 

とまぁ、最後に、わたしと過去から現在の遍歴をかる~く書いて、一旦終わりにしようと思います

 

 

26歳 仕事を辞め、地元へ戻り、一人暮らし

 

28歳 摂食障害 拒食症 低体重を出す

 

 

29歳 拒食症から過食に移る→むちゃ食い

 

 

30歳 母親と暮らす 拒食とむちゃ食いの繰り返し

 

 

 

現在 摂食障害継続中(拒食よりの、計画的過食)

 

に翻弄され、毎日過ごす

 

 

とまあ、こんな道のりです

 

今振り返ると貴重な20代の時間を、こんな奴に

 

振り回されて、一喜一憂して過ごす毎日ですよ。

 

ほんとに厄介です。

安易なダイエットがきっかけで

心も体も、おかしくなってしまい、

自分が摂食障害を解放しないかぎり、

周りの人との人間関係だって悪くなる一方で

普通に人と食事をすることが

困難になり、自分から疎遠状態を作ってしまうし。

 

生まれてきたら当たり前に、備わってる、

衣食住の、食に毎日、振り回されて生きずらくなる様です

 

そして、メンタル面も

食べたい、食べたくないの両極端

常に0か100の思考

 

こんな自分が嫌いで、

 

こんな自分なんて、消えちゃえばいい。

 

毎日 自分自信を苦しめる

 

殻にとじこもり、孤独、孤立していく

 

 

 

摂食障害を完治することは、簡単ではないと

思う

 

正直治すと言うより、上手く付き合っていくしかないと思っている

 

もちろん、懸命に治療され、周りのサポートのおかげで、完治されてる方もいます。

 

 

それは、奇跡に近い事だと思っている

 

ダカラコソ、ここでは本音で話して

 

上手く付き合っていくすべを見つけられたら

 

いいなと思う

 

そんな、下手くそな生き方しか出来ない

 

自分の備忘録として、生きた証を綴って行こうと思う。


摂食障害ランキング
OLランキング

わたしと食事④

気絶してからどのくらいの時間がたったのだろう


目を覚ました時に、自分がなぜ全裸で倒れているのが


分からなく、パニックになった


当時、連絡を取っていた、父親に連絡をして


自宅まで来てもらい夜間病院に連れてもらった


それがきっかけで、アルバイトが休みの日は


一緒に食材の買い出しや、外食をするようになった


当時、大腸がんを再発していた父親との


僅かな時間だった。


なのにわたしは、自分が決めた食事内容と時間に縛られ、常にイライラして


夕飯の17時ギリギリの時間になると


父親を急がせ、時にはタダをこねるように


自分勝手な行動をとってしまった


そんな状態の父親でも、何も言わず


わたしに合わしてくれた。


最後に父親と一緒に食べたのは


鰻だった。


わたしにとって、鰻は父親と最後に一緒に食べた、


切ない思い出の料理だ




わたしと食事 ③

新しい仕事が中々見つからず


それでも生活する為には


働かなくてはならないので、


インテリア会社の事務のアルバイトをした。


小さな会社だったが、


みんな、いい人だった


帰り際に、家庭菜園している


野菜をくれたり、一人暮らしの生活を気にかけてくれたりと。


仕事の環境はとにかく良かった


ただ、ひとつ問題があった


お昼事情だ。


自宅の時は、


ゼロカロリーゼリーが昼ごはんだった


でもアルバイト先にそれだけ持っていくと


当たり前だが、みんな口を揃えて


お昼ご飯それだけ?


好奇な目で見られ、途端にわたしの食事内容が話題になる


元々、自分の事を、あれこれ聞かれるのが昔から苦手だった


人付き合いもあまり上手い方ではない。


友人もほんとに数少ない。


それがきっかけで、わたしの悩みの種が


お昼ご飯のメニュー決めになった。


お昼ご飯は


スープとゆで卵のみと決めた


本当は固形物なんて取りたくなかった

スープのみが良かった


でも飲み物だけだとまた、


とやかく言われるのが、億劫だったから仕方がなかった。


それでも体重を減らすことに余念がなかった


仕舞いには、水分を摂ることも抵抗するようになった。


季節は真夏なのに。


完全に頭がいかれた状態だった


そんな馬鹿な事をしていた天罰なのか


一人暮らしの自宅で、気絶をした。


毎日、日課1時間の半身浴からの脱水症状だった


気がついた時は、全裸状態という


滑稽な様だった。


わたしと食事 ②

自称健康的ダイエットを決めてから


まず食生活を改めた


まずは定番のカロリー計算


私の場合、特にガチガチなカロリー計算はしてこなかったが


自分の食事内容と時間の拘りは強かった


基本野菜と魚中心の生活


肉類は殆ど取らなかった


とってもむね肉、ササミなど脂身がない部位


昼ごはんは、ゼロカロリーのゼリーのみ


朝と夜をしっかり摂るルール


しかも夕飯は毎日17時までと徹底した


夕飯後、1時間のウォーキングを欠かさず行った


そんな徹底した生活のおかげで


体重は順調に落ちていった


毎朝の体重測定で


1キロ1キロと落ちていくことが、


快感だった


反面、たとえ0.数キロでも増えていたら


その日の食事を極端に減らして


次の日の測定まで減らすようにした


そんな生活をして数ヶ月が経ったとき


体重が40キロを切り


35キロまで落ちていった。


当時の写真を見ると


頬はこけ


手足はガリガリでシワシワな肌だった


それでも体重を減らす事ばかり考えていた


もお自分が痩せているのかどおかなんて関係なかった


信じれるのは、体重の数字のみ


見た目の美しさなんて、頭になかった


最初の健康的なダイエットなんてとっくに忘れ去られていた。


わたしと食事

地元へ戻ってから


わたしは実家に住まず、2年近一人暮らしをしていた


会社勤めをしていた時も一人暮らしだったので、

地元での一人暮らしも、何ら変わりなかった


ただひとつ違うのは、

仕事をしていない状態だった


しばらくはゆっくりアルバイトでもして、

新しい仕事探しをしようと決めていた。


仕事を辞めてからの、1日の時間は

とてもゆったりしている


特にする事が無いので

ハローワークに行って、家に戻って

テレビを見たりダラダラするだけだった


そんなある日、久しぶりに体重計に乗った。


特になんの意味もなくただ単に乗って見ただけだった


表示された数字からは、


太った訳でもなく、また特段痩せた訳でも無かった


その時、今の暇で持て余している時間を


ダイエットに使おうと。思ったのだ。


それからが、長い長い


わたしを苦しめる幕開けになるとは


この時は予想もしなかっただろう。

わたしと居場所 ④

過呼吸が起こったままの状態で早退したい。と社長夫人に伝えた(家族経営の会社だったので)


ビックリして即帰らされた。


一人暮らしの家に帰り。


機械的に、鞄に必要なものと洋服を入るだけ詰めた。


そして次の日、わたしは地元へと向かった


もおこの場所には、二度と戻って来ないと


誓って。